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浜田麻里 64歳で進化し続けるハイトーンボイスの秘密「音域だけは未だに広がっているかも」ヘビメタクイーンと呼ばれても「ジャンルに縛られない」43年の破壊と再生

2026.09.25
浜田麻里 64歳で進化し続けるハイトーンボイスの秘密「音域だけは未だに広がっているかも」ヘビメタクイーンと呼ばれても「ジャンルに縛られない」43年の破壊と再生

唯一無二の歌姫として走り続けてきた歌手・浜田麻里さん(64)が、9日発売のベストアルバム「INCLINATION IV」に収録の新曲「Rhapsodiaris」で、驚異的なハイトーンボイスを見せています。30周年から40周年までの10年間を再構成した本作に込めた思いと、見えてきた現在地とは。既存のジャンルの枠にとらわれない確固たる音楽哲学、そして“破壊と再生”を繰り返してきた43年間の歩みを語ってもらいました。(井利 萌弥)

撮影:篠原 正樹

――本作では、どのようなことを意識して曲を収録しましたか?

「新曲については、ヘヴィー系で、より新鮮さを感じていただけるような世界に踏み込んでみたいという気持ちがありました。ちょっと人がびっくりするようなところにトライしたいと思ったのは確かです。既存の曲は、もちろんファンの方々が気に入ってくださっているものも念頭に置きつつ、現時点の自分からこの10年を振り返って、自分の中で何かがひらめいたり、ものの見方が変わったりするきっかけになった曲を選びました。私の音楽的な変遷がよく分かるようなもの、というのが基準だったかと思います。今の自分に接続し直すということが大事でしたね」

――新曲「Rhapsodiaris」で披露しているハイトーンの迫力は凄まじいですね。昔からキーは変えていないのですか?

「うれしいです。昔の曲を歌う時も、キーを下げたことはないですね。むしろ、いつの頃からか、より広い音域を使う曲を作るようになって、それが現在まで続いている感じです。

発声の仕方にもいろんな段階があって、ミックスボイス系の音域も私の場合はかなり広く、超高音域ではホイッスル系の音も自然に使えるようになりました。ですから音域だけを見れば、未だに広がっているのかもしれません」

――では、まだまだ進化の余地があるということですか?

「高ければ高いほどいい、というものでもないですからね。もし、これ以上高い音を出せたとしても、人間の耳に心地よい範囲は超えてしまうことになると思います(笑)。今のところ、音域を狭めなければならないような限界は感じていない、というくらいですね」

――どのようにして音域を広げているのでしょうか。

「もともと子どもの頃から歌っていて、無理なく使える音域は比較的広かったと思うんです。ただ、ボーカリストとして、もっと自分の知らない発声の仕方はないのかな、まだできないことがあるんじゃないかな、という興味はずっとあって。デビュー前に、ハードロックの高音域の歌唱を聴いて研究したのもそうですし、そういう探求の延長で、近年はオペラにも何かヒントがあるんじゃないかと思ったんですね。

昔のオペラのアリアなどを聴きながら、どういうふうに声を出しているんだろうと自分の中でシミュレーションして、実際に試していくうちに、少しずつ感覚が分かってきたんです。もちろん、そのままオペラの発声をしているわけではなくて、自分の歌唱の中に取り込んできた、という感じですね」

――ここでクラシックが出てくるとは驚きました。浜田さんはご自身の音楽ジャンルをどう考えていますか?

「私の場合、特定のジャンルやアーティストだけを規範にしてきたわけではないんです。その時代の空気や、自分自身が表現者として歩んできた流れの中で、その時にやりたいこと、やるべきだと思うことをやってきた、という感覚が強いですね。

“もっとヘヴィーに、ハードで攻撃的なものをやりたい”と強く思う時期もあれば、逆に、もう少し落ち着いた大人の音楽が心地いいと感じる時期もあった。明るいポップ性を心地よいと感じる時期もあった。私自身は、ジャンルを限定して“自分はこういう人間なんだ”と考えてきたことは、ほとんどないんです。そういうシンガーとしての自分の感覚や衝動を、プロデューサーとしての自分が少し引いたところから俯瞰して、作品としてまとめていく。そのような感覚に近いと思います。

ただ、周囲からはどうしても何か一つの型にはめて捉えられることが多かったので、それに対する反発から、少し強い言い方をしたことはあったかもしれません。でも根本にあるのは、ひとりのシンガー、ボーカリストとして、常識にとらわれない幅広い表現をしていたいということですね。

実際の制作では、“今回はこういう音像でいこう”“この曲はもっとハードにしたい”というように、その都度かなり具体的に方向を決めています。シンガーとしては幅広くありたい。でも作品を作る時には、その作品に必要な音を選んでいる、という感覚です」

――ヘヴィメタルに対してはどうお考えでしょうか。

「もちろん誇りはあるんですよ。“ヘヴィメタルクイーン”と呼んでいただくのであれば、そういう誇りも持ちたいですし、全然否定はしません。

ただ、もともと私はスタジオシンガーから始めて、10代半ばの頃からテレビのコマーシャルソングなどを歌っていたので、そこがプロとしての原体験なんです。私にとっては、自分の声の可能性を狭めず、いろいろな表現をしながら、音楽で意思を伝えていきたいという気持ちがずっとあります。

ですから、“ヘヴィメタルを背負っていく”とか、“自分はこのジャンルの人間なんだ”というふうには、あまり考えたことがない、というのが本当のところです」

――今後の作品のイメージは膨らんでいますか?

「全くないわけではないんですけど、まずは頭の切り替えが必要なので、まだそこまで具体的な段階には行っていないですね。今のようなヘヴィーな方向をさらに突き詰めていくのも面白いと思いますし、一方で、自分のこれまでを振り返ると、結果として破壊と再生を繰り返してきたようにも思うんです。

だから次も、もしかしたら一度全部壊してみたいと思うかもしれない。そのくらい自由でいたいんですよね」

――破壊と再生ですか。これまでは音楽性が度々ガラっと変わっていたということですか?

「客観的には、よくそう言われます。でも、自分で“音楽性を変えよう”と意識して実行したのは、90年代中盤の一度だけなんです。それ以外は、その時々で選んだ環境や出会った人たちから新しいものを得て、それが次の転機につながっていった。振り返ってみると変化が多く見える、ということだと思います。

デビュー当時は“麻里ちゃんは、ヘビーメタル。”というキャッチコピーで打ち出され、そのイメージの中で活動していましたが、その後、オリンピックのテーマソングや化粧品のコマーシャルソングなどを通して、より広く一般の方にも聴いていただくようになりました。その頃も“変わった”とずいぶん言われたようですが、私自身は、音楽性を変えようとしていたわけではないんです。

80年代に、より良い制作環境を求めてアメリカで制作するようになり、そこで出会ったミュージシャンたちの影響も受けながら、自然に少しAOR的な方向へ向かっていった時期もありました。後になって、“売るために方向を変えた”というような見方があったことも知りましたけれど、私自身にはまったくそういう感覚はありませんでした。

ただ、広く聴いていただけるようになって、ひとつの形がある程度出来上がったと感じた時には、“もっと先へ行きたい”という気持ちが強くなったんです。そこで初めて、自分の意思でイメージを一度壊して、もっと成熟したサウンドへ進もうとしました。

音楽性を何度も意図的に変えてきたわけではないんですが、客観的に振り返ると、良い状況であっても、そこに留まるより、一度壊してもう一度立ち上げてみたいという感覚は、自分の中に強くあるのかもしれませんね」

――本作を聴いた方にはどんな受け取り方をしてほしいですか。

「音楽に限らず、人は何かを理解しようとすると、どうしても分かりやすいジャンルやラベルで捉えたくなると思うんです。でも、ひとつのラベルを付けることで、その中にある多様性や大事な差異が見えなくなってしまうこともありますよね。

私はデビューした43年前から、ひとつのジャンルではなかなか説明しにくいタイプだったと思います。そのために誤解されたり、軽く扱われたりすることも多かったんですけど、そろそろ、ひとつの区分では捉えきれない表現者もいるんだと受け取っていただけたら嬉しいですね。

この作品には、そういう自分の意志や、そこに至るまでの歩みも含めて入っていると思うので、ジャンルだけではなく、その時々に何を感じ、何を音楽で表現しようとしてきたのか、私という人間そのものも含めて感じてもらえたらと思います」

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