住吉美紀アナ 壮絶な不妊治療を経て伝えたい思い「失敗に終わってもその後に希望は見つかる」 見つけた新たな「家族」の形
2025.12.19
フリーアナウンサーの住吉美紀さん(52)は壮絶な不妊治療を経験しました。42歳から4年間にわたり、人工授精に7回、体外受精の排卵手術に21回挑戦。当時の苦しみや葛藤についてもつづったエッセー集「50歳の棚卸し」(講談社)が多くの女性の共感を集めています。つらい治療を乗り越えた今、住吉さんは穏やかな笑顔で「子供がいない人生にも希望を見つけることができた」と語ります。そんな住吉さんにエッセーに込めた思いや不妊治療を経た今だからこその「家族」の形について聞きました。(望月 清香)

――不妊治療の経験を振り返ることは覚悟のいることだったかと思います。どのような思いで不妊治療について書くことにしたのですか。
「実は不妊治療を終えた時から何らかの形で世の中に出すことを決めていました。私は4年近く不妊治療にいろいろなものを捧げてしんどい思いをしてきました。自分の失敗とも言える不妊治療の経験を何か生かすことができるのだとしたら、私と同じようにしんどい思いをいま現在している方、過去に経験して、気持ちが癒えていない方、これから不妊治療を考えている方に自分の経験をシェアすることしかないと思っていました。そして、むしろ書くことで気持ちを消化できた部分があります。お炊き上げのように心の整理になりました。私にとっては文章にすることよりも治療を辞めることの方が大きな決断でした」
――エッセーを読んだ際に不妊治療をやめるまでの葛藤がひしひしと伝わってきました。
「不妊治療って、子供を授からないとやめどきが分からなくなるんです。実は子供を授かる可能性がゼロになることは科学的には少ないと医師に言われました。わずかでも可能性があると思うと、いつやめるのか、決断をするのが難しかったです」
――住吉さんと同じように、不妊治療に取り組んでも子供を授かることができずに苦しんでいる方がたくさんいらっしゃると思います。エッセーを通してどのようなメッセージを届けたいですか。
「自分が治療を続けるか、やめるか悩んでいた時、不妊治療をやめた先にどんな未来があるのかのロールモデルがほしいと思っていました。でも私はそんなロールモデルを見つけられなかった。不妊治療で子供を授かった方の体験談はたくさんあっても、子供を授かることができずに不妊治療を終えた方の体験談は見つかりませんでした。その経験から、私の体験が1つの事例になればいいなと思いました。こんなに苦しんだ人でもその先に希望が見つかったということを伝えたかった。そのために苦しかったこともできるだけ具体的に書きました。“不妊治療が失敗に終わっても大丈夫。その後に希望は見つかるよ。幸せも見つかるよ”というメッセージが、その方に合う形で伝わればいいなと思います」
――住吉さんの体験談は不妊治療を経験したことがない人たちにとっても学びになったかと思います。
「当事者の人がどんな思いをしているかを当事者ではない人たちが知ることで優しい世界ができていくと思います。そういうことにも貢献できたらうれしいなと思います」
――不妊治療中は旦那さんの存在が支えになったのではないでしょうか。
「夫は一緒に戦った戦友みたいな感じです。一緒に治療に取り組んだので、私がボロボロになっている姿も見ている。そういうのを全部見ていたのは夫だけ。前向きでいてくれるだけで本当にありがたい存在でした。夫とは不妊治療を経て、より絆が強くなったと思います。2人で一緒に乗り越えたという実感があります」
――エッセーの中で「気づけば“子どもができないと絶対に幸せになれない”と思い込んでいた」と書いている住吉さん。不妊治療を経て、考え方に変化はありましたか。
「これまでは一緒に住んでいる人=家族だと思っていました。不妊治療を経験したことで家族という境界線がぼやけて広がった気がします。長い時間一緒に生きている人たちはほぼ家族だなと捉えるようになりました。私には家族みたいに自分のことをさらけ出したり、励まし合ったりできる友達がいるし、付き合いの長い仕事仲間もいる。不妊治療とコロナの2つの経験を通して、家族以外にも家族みたいに頼れる人がたくさんいると気づきました。(パーソナリティーを務めているTOKYO FM)『Blue Ocean』のリスナーさんもその一部です。毎日聞いてくださって、イベントにも来てくださる方には家族のように近いシンパシーを感じています。血のつながりはなくても、同じ家に住んでいなくても、家族のような心強さを感じる相手がたくさんいることに気がつきました」

